『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観て、改めて思った。やっぱり、ちいかわはダークファンタジーだった。いや前からそうだった。改めてそう認識した。
「なんか小さくてかわいいやつ」通称「ちいかわ」というタイトルから受ける印象とは裏腹に、ナガノ先生が描く世界は決して「かわいい」だけではない。原作には思わずクスッと笑ってしまう日常がある一方で、生きること、理不尽さ、恐怖、そして喪失が、何気ない一コマに紛れ込んでいる。だからこそ、大人ほど「ちいかわ」に惹かれてしまうのだろう。
実は子どもには理解できないネタが多い
『ちいかわ』には、子どもだけでは理解が難しい要素が数多く登場する。
- キメラという存在
- パラレルワールドを思わせるような描写
(大人でもわかっていない場合すらあり得るネタでもある)
そして「ラーメン郎」「三つ星レストラン」のように、元ネタを知っている大人だからこそ笑えるパロディ
表面だけ見ればかわいいキャラクターの日常だが、その背景には現実社会やネット文化へのオマージュが数多く隠されている。「なんとなく面白い」と感じる子どもと、「なるほど、そういう意味か」と読み解く大人。
この二重構造こそ、『ちいかわ』の大きな魅力でしょう。
映画は”その先”を描いた
今回の映画で特に印象に残ったのは、人魚伝説をめぐる一連の内容だ。セイレーンを倒して終わる物語ではない。
「永遠の命」を得ることへの代償
そして、その後に待つ時間。
さらに印象的なのは、セイレーンの最後の「わかった。」島には二度と来ない。という言葉。この一言だけでも十分に余韻は残る。
しかし映画は、そこで終わらない。その後の描写まで静かに映し出すことで、「ハッピーエンド」で片付けない『ちいかわ』らしい世界観を最後まで貫いている。
主人公であるちいかわ自身も、この冒険、物語を通して大きく成長したように感じられた。
ポスターが物語を語っていた
映画のメインビジュアルを見た時、少し違和感を覚えた人もいたのではないだろうか。

ちいかわは人魚の鱗を手に持ちながら、どこか悲しそうな表情をしている。
かわいい作品なのに、笑顔ではない。映画を観終えたあと、その理由が理解できた気がした。あの表情は、命の重さや、取り返しのつかない出来事を知ってしまった表情にも見える。映画を観たあとにポスターを見返すと、受ける印象はまったく変わってくる。ただのかわいくて、ちいさいキャラクターではないことがわかってくる。
セブン-イレブンの「赤魚の煮付け」まで作品世界になる

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『ちいかわ』の面白さは、作品の外側にも広がっている。映画公開に合わせて商品化されたセブン-イレブンの「赤魚の煮付け」もその例。よく観るとわざわざキャラクターが赤魚の煮付けのそばにレイアウトされているし、ちいかわは人魚の鱗まで持っている。
原作、作中の出来事を知っている人なら、ただのタイアップ商品ではなく、作品の世界観そのものを思い出させるアイテムとして受け取るだろう。こうした現実と作品世界がゆるやかにつながる仕掛けも、『ちいかわ』らしい魅力だ。
映画を観て赤魚を食べられるだろうか。想像力が掻き立てられるだろうか。
人魚の鱗の映画館のグッズを映画を観た後にどう感じるだろうか。
「子どものときには、わからなくていい」という作品
ドラえもんやクレヨンしんちゃんの映画には長い歴史があり、毎年積み重ねられてきた物語がある。鬼滅の刃も長編作品として、多くの伏線を積み重ねてきた。
一方、『ちいかわ』は、もともと短編作品だ。それでも今回の映画は、短編アニメだからこそできる「余白」を見事に映画として成立させていた。すべてを説明しない。答えも提示しない。
観終わったあとに考える。
「あれはどういう意味だったんだろう。」
そんな時間を観客に委ねている。
子どもは今すぐ理解できなくてもいい。
何年か後にもう一度観た時、
「ああ、あの時の意味はこれだったんだ。」
と思える作品であれば、それでいい。
そう思える作品になっている。賛否分かれる作品だろうけれど、セイレーンをやっつけたんだという印象でインプットされる子どもたちに、後で観た時に怖さや、そもそも誰が正しいのか、そしてそれを知った人の反応はどうあるべきなのか。考える機会を与えている。
かわいいだけでは終わらないから『ちいかわ』は特別だ
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、かわいいキャラクターが冒険するだけの映画ではなかった。
生きること。
失うこと。
それでも前へ進むこと。
そうしたテーマを、子どもにも、大人にも、それぞれ違う形で届ける作品だった。
『ちいかわ』には、かわいい世界を描いているようで、その奥には現実よりも少し残酷で、少し優しい世界が広がっている。
